タヒチアンダンスの歴史
タヒチアンダンスの起源
タヒチアンダンスの起源は、アリオイというソシエテ諸島に発生した、宗教と政治の教えを説く目的で踊られた宗教儀式のひとつでした。アリオイの旅によってこの踊りは他の島々へと広められました。
しかし、ヨーロッパから渡島したキリスト教宣教師により、アリオイの性的に放縦な面や嬰児を殺す習慣が問題視され、タヒチアンダンスは1820年代には法律上で完全に禁止されてしまいます。
衰退の一途をたどると思われたタヒチアンダンスですが、その後 1950年代に、Madeleine Moua(1899-1989)が現れます。彼女は口承の伝統や当時の旅行者の資料から禁止令以前の踊りを研究、衰退した伝統的なダンスを復興してゆきました。これが、現在のタヒチアンダンスの基となります。
現代に伝わるタヒチアンダンス
一度はキリスト教宣教師に禁止令を出されたタヒチアンダンスですが、その復興には大変な苦労を伴いました。同時に禁止されたタトゥーは、民俗学者により資料が残されていましたが、ダンスについてはもちろん動画なども無い時代で、当時体系的に整理された資料も無く、口伝として伝えられた情報や旅行者が記した記録がばらばらに存在するだけでした。なんとかいくつかのダンスの名前、基本的な動きや身振りについてがわかったものの、それらがいつ発生し、どのようなグループにより踊られていたのか、どのように発展したのか等は不明でした。
そのような背景の中、1950年代、Madeleine Moua と彼女のグループ HEIVA によって復興されたタヒチアンダンスは、既存のダンスの再開というよりは進化発展でした。
Madeleine Moua によって再定義されたタヒチアンダンスは、若い女性に引き継がれる中で、古風で素朴で習慣的な伝統舞踊から、都会的で職業的なダンスジャンルとして進化しました。
この現代のタヒチアンダンスに繋がる再興は、タヒチでの観光業の発展と成長と同時に発生し、タヒチの伝統文化を世界に伝えることに役立っています。